栃木県私的病院協会(旧・私的病院会)の40年にわたる歩みは、主に三つの段階に分けられます。

第1ステージ:設立と年金基金への機運(5年間) 栃木県知的病院会は、昭和60年(1985年)、今から40年前に設立されました。当時指定病院102のうち69病院が集まり結成され、初代会長は日光の川上明先生でした。設立の動機は、昭和50年頃から始まった「病院厚生年金基金」を創設することにありました。これは、私的病院の職員の待遇改善と意識向上を図るとともに、公立病院が優先されがちであった当時の状況に対し、団体として意見を表明できるようにするためでした。

第2ステージ:年金基金との協働と終焉(25年間) 1990年に厚生年金基金が設立されると、病院会と基金は事務所を一つにし、「車の両輪」のように活動を始めました。この期間、基金は最大時67病院が参加し、資産は平成23年時点で135億円まで膨らみました。しかし、基金の資産運用が株を中心としていたため、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災などの経済的な影響を大きく受けました。平成9年頃から資産の赤字化と黒字化が激しく繰り返される不安定な状態となり、結果として国からの制度廃止が決定され、25年の幕を閉じました。

第3ステージ:法人化と独り立ち 基金の廃止に伴い、協会は経済的なよりどころを失い、「独り立ち」を強いられます。その柱となったのが法人化です。当時の副会長は組織の全国的な発展を見据えた名称変更を提案しましたが、設立当初の意向を尊重し、法人名は「一般法人 栃木県私的病院協会」として、病院会から病院協会への変更に留まりました。

現在は、全日本病院協会(平成25年に公益法人化)との連携を強化し、理事として参加するなどの新たな枠組みを作っています。国政や知事選などへの取り組みも強化し、任意団体である栃木県病院協会とも連携しながら活動しています。

今後の課題 私的病院は現在も県内のベッド数の半分以上、救急を含む医療の半分を担っています。しかし、設立時の人口増加時代から一転し、今後は人口が確実に減少していく「右肩下がり」の時代を迎えます。高齢者人口は変わらず、生産年齢人口が減少する中で、医療の半分を担う私的病院が、いかにしてこの大きな課題に対応し、役割を果たし続けていくかが、これからの40年間の重要なテーマとなります。